小河内岳での出会い、「エネルギーの交換」
雷雨から逃れて転がり込んだ小河内岳避難小屋。
出会ったTさんといろいろお話をさせてもらったのですが、その会話の中でも特に印象的だったことについて書こうと思います。
それは「エネルギーの交換」についてのお話です。
彼は「物々交換」を「エネルギーの交換」と呼ぶ人でした。
Tさんは自ら畑を耕しほぼ自給自足の暮らしをしているとのことで、山にもお手製の梅干しや干鹿肉、干したブルーベリーにきゃらぶき等々、手作りのものをたくさん持って来ていました。そしてそれらを私にもたくさん分けてくれました。
「何かお返しせねば」と思いましたが私から差し出せるものはわずかばかりのお菓子だけ...。
申し訳なく思いましたが、せめてこれだけでもと手渡そうとすると、
「これは君が持っていたほうがいい。」
「お返しなんていいよ。君は今、歩くことで周りにエネルギーを与えているんだよ。」
と、言われたのでした。
初めは、その言葉をよく理解することができませんでした。
私はただ好きで歩いているだけですし、周りの多くの人から応援されエネルギーをもらっているのはこちらの方なのですから。
それに、頂いたたくさんの食べ物へのお返しが「歩く」という行為だなんて。「モノとモノ」の交換でなくていいのだろうか...。
しかし次第に彼の言葉の意味が分かるようになりました。自分にも同じようなことがよくあると気付いたからです。
夢を追って音楽を続ける友人の姿に感動し励まされたり、毎日一生懸命遅くまで働く友人や家族の姿に感動して自分も頑張ろうと思えたり。
周りの人の様々な姿に感動し励まされることがある。いつも、誰かの後ろ姿にエネルギーをもらっている。
それと同じように、彼も私の「歩く」という行為に、鹿肉や梅干し分のエネルギー・価値を見出してくれたのかもしれない。
そうだとしたら、なんて嬉しいことだろうか。
誰かに感動を与えようなんて考えていなくても、「その人がその人らしく一生懸命生きている」というだけで、その後ろ姿だけで、周りの人にエネルギーを与えられる。そのことを彼は教えてくれたように思います。
つまり、人はみな「表現者」なのだと。何かを伝えようと意図せずとも、その後ろ姿がその人を「表現」しているということ。そしてその後ろ姿こそ、その人を表す「作品」なのだということ。
(※参考:宮沢賢治『マリヴロンと少女』http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1922_17654.html )
そしてどうせならポジティブな表現者でありたいとも強く思いました。
自分の言葉や身振り手振り、生き方などなど、自分から発せられるものから周りの人がプラスの感情を感じ取ってくれたらどんなに幸せか。そうなるためにも、常に笑顔で優しく人に接したいものです。なかなかできないのだけれど。
また、このとき改めて「必ず日本海にゴールしよう」と心に誓いました。
旅の前から応援してくれる人がいて、旅の間も道行く人や小屋のスタッフさんから励ましの言葉とエネルギーをもらっているのだから、ゴールしないわけにいかない、ゴールすることが最大の恩返しだと思うようになったのです。
大げさかもしれませんが、自分一人で歩いているのではないと、心からそう感じたものでした。
Tさん、本当にありがとう。必ず遊びに行きます。
すべてのご縁に、彼と出会えた偶然に感謝です。一期一会の出会いを大切にしよう。